ALOHA〜!
今日はカメハメハ大王のお話、第1回です。
南の島の大王は〜、その名も偉大なカメハメハ〜♪
この歌は皆さんよくご存知のことと思います。
そしてこのカメハメハ大王像はハワイに行ったことがある人は
必ず目にしていますね。
歌とは裏腹にカ・メハメハとは
孤独な人、寂しい人という意味。
これからたくさんハワイの歴史、
そしてハワイの王族のお話をしていこうと思っています。
最初にお話するべきなのはやはりこの方。
ハワイ島で生まれたカメハメハは
幼少名をパイエアといいました。
その生を不吉とされ、生後すぐに母親と引き離され
10歳まで存在を隠されて育ちました。
パイエアとは<硬い殼のカニ>という意味で
強さを求めてつけられたものか
硬い殻に守られるようつけられたものなのか。
なぜその生を不吉として怖れられたかというと
それは生まれる前から王となることが定められていたからだといいます。
当時ハワイ諸島は島ごとにそれぞれの領主(アリィ)が治めていて
統一とか王国という概念はありませんでした。
王国の王が誕生するということは
各島のアリィの地位が脅かされることになる=不吉とされたのでした。
この写真はワイキキのキングスヴィレッジのカメハメハ大王。
キングスヴィレッジは取り壊しが決まってしまいましたので
ご覧になりたい方はぜひお早めにお出掛けください。
8人の王が全員いらっしゃいます。
このプレートの他に大王の肖像画は
イオラニ宮殿にもあります。
赤いベストに黄金のマントを纏っています。
この肖像画を描くとき
画家はもっとハワイアンらしい出で立ちをリクエストしたそうですが
大王は頑として聞き入れず、
西洋風の装いで描かせたといいます。
ハワイは文明の遅れた小さな南の島ではない、
ハワイは西洋と渡り合える立派な王国であり
自分はその王国の王であると示したかったのではという
エピソードが残っています。
クックの来島により大きく変化を遂げたハワイ。
その先頭に立ち、
英語を習得しイギリスの文化を取り入れていった
カメハメハらしいエピソードいえるでしょう。
これがイオラニ宮殿にある大王の肖像画です。
かなり高い位置にありカメラに収めるのがなかなか難しいのです。
これはカメハメハ大王像の後ろ姿。
金ピカですねー。
孤独な人という名前ではありますが
大王には20人とも30人ともいわれる奥様がいらっしゃいました。
なんと羨ましい!という声も聞こえてきそうですね。
この大王像の広げた右手はハワイの繁栄を
槍を持った左手はハワイの平和を祈念しているそうです。
繁栄といえば、、、
ハワイ王国はなぜ8代で終わってしまったのか。
それには政治的なものが絡むのですが
カメハメハ家の王はなぜ5人なのか。
(6〜8代目の王はカメハメハの直系ではありません)
奥様が30人もいてなぜなぜ???
これから一緒に紐解いて行きましょう。
そして最後に、、、
もしかしたらハワイの王族に日本人の血が流れているかも知れない!
という話があります。
ジョン万次郎の漂流話はご存知ですよね。
同じようなことが昔、一度ならずあったようなんです。
ハワイまで6000キロ以上も漂流して辿り着けるかどうかは
疑問に思います。
しかし鉄のないハワイに鉄があった。
しかもその鉄は日本刀に酷似した形をしている。
囲碁だったか将棋だったか、
それとほぼ同じゲームがハワイにも昔からあり
日本人がもたらしたものではないかと言われています。
ハワイに漂着した日本人女性のほとんどは
ハワイのアリィと結婚したと言われており、
これが事実ならハワイの王族に間違いなく日本人の血が流れている。
これは歴史のロマンだけでは終わらせたくない。
そう思うのは私だけではありませんね。
この話もぜひ解明していきたいと思います!
今日は(今日も)話があちこちに飛んでしまった
ツアーガイドでした!!
MAHALO〜〜!!