ALOHA~!
ワイキキで一番賑やかな場所、ロイヤルハワイアンセンターにやってきました。
そこにあるこの銅像。
見たことあるけどだれか知らない、という方が多いようなので
今日はこの方、バーニス・パウアヒ・ビショップさんのお話をしたいと思います。
この方、大変高貴な方です。
カメハメハ大王の直系子孫、ひ孫にあたります。
カメハメハ大王には奥様がたくさんいました。
30人とも40人とも言われています。
バーニスさんのひいおばあさんはカメハメハ大王と結婚する前
カメハメハ大王の叔父にあたる方の奥様でした。
ハワイ王国の家系図を見ると人間関係がとても複雑です。
公式な家系図にも載っていない婚姻関係もあり
思う以上に狭い世界だったことが伺われます。
そしてハワイ王国にも血族結婚の歴史があります。
ハワイ王国に限らず世界のあちこちで見られることですが
権力と財産を守るための最善方法と考えられていました。
しかし濃すぎる血は悲劇を招きます。
血族結婚といえばハプスブルク家が有名ですね。
ハワイ王国でも実の兄妹の結婚もありました。
血が濃いほど神聖とされてきたからなのですが
キリスト教がハワイに入ってきて一転、それはタブーとされます。
その悲劇はまた別の機会に詳しくお話しますが
濃すぎる血が王族が若くしてたくさん亡くなった一因ではと私は考えています。
この方が誰なのかを言える人は相当なハワイ歴史通ですね。
プリンス・ロトことカメハメハ5世。
カメハメハ大王の直系としては最後の王。
大王の孫にあたります。
プリンス・ロトはバーニスにプロポーズをしていましたが
バーニスはアメリカ人のチャールズ・リード・ビショップと結婚してしまいます。
プリンス・ロトとバーニスは幼なじみで
大変仲がよかったとも、犬猿の仲だったともいわれています。
プリンス・ロトから求婚されていながらビショップと結婚したという話もあります。
バーニスとの結婚が叶わなかったカメハメハ5世は
死期が迫ったときバーニスを次の王として指名しようとしましたが
それも断られてしましました。
ハワイ王国では王は指名制でした。
次の王が指名されないまま
カメハメハ5世が亡くなってしまったため
6代目の王は王国初の選挙で選ばれることになりました。
ファーストハワイアンバンク。
このかわいいロゴをハワイで見たよ~!という方もいらっしゃると思います。
なぜここで急に銀行の話??
このファーストハワイアンバンクの創始者がバーニスの夫、
チャールズ・リード・ビショップなんです。
ホノルルのダウンタウンにビショップスクエアという場所があります。
そのあたりにハレアカラ(マウイの山と同じ名前!)とい名の邸宅があり
ふたりはそこで暮らしていたので
ビショップスクエアと呼ばれるようになりました。
ビショップストリートも名前の由来は同じです。
ビショップミュージアム。
正式にはバーニスパウアヒビショップミュージアムといいます。
バーニス(享年52歳)が亡くなった後、
チャールズがバーニスを追悼するため
カメハメハスクールの敷地内に設立したのが
この博物館の始まりで、
現在はハワイ州最大の博物館となっています。
テレビドラマ「LOST」では
ここで盛大なガーデンパーティーのシーンがありました。
カメハメハスクールは
バーニスがハワイアンの子供たちに教育を受けさせるために作った学校で
ハワイアンの血が流れている子供しか入学することの出来ない学校です。
では最初のロイヤルハワイアンセンターの銅像に戻ってみましょう。
バーニスの隣には小さな女の子。
ロイヤルハワイアンセンターの敷地はカメハメハスクールが所有するもの
といえばこの銅像の意味がわかりますよね。
バーニスは何人もの王族から遺産を相続し
一時はハワイの土地の10%ほどが彼女の資産だったといいます。
もし彼女がカメハメハ5世と結婚していたら、
結婚はしなくても5世の指名をうけて王になっていたら
ハワイ王国の運命は変わっていたのではといわれています。
美しいく聡明な方だったそうです。
ビショップ夫妻には子供はいませんでしたが
バーニスはハワイアンの子供たちを深く愛していたのでしょうね。
少しワイキキを歩きましょうか。
カラカウア通りをダイヤモンドヘッド方向に歩いて
プリンセスカイウラニホテルと
ハイアットリージェンシーワイキキの間を山側に左折しましょう。
カイウラニホテルを過ぎると
カネカポレイという通りの名前になります。
カネカポレイとはある女性の名前。
カメハメハ大王の奥様のひとり、
バーニスのひいおばあさんの名前です。
ハワイの道にはたくさん王族の名前が付けられています。
次回は道の名前から王族のお話をしてみたいと思います。
Mahalo~!!